いつから「ひと口目」を「ファーストバイト」なんて言うようになったのか(笑)

こんにちは。タナカd|`・∀・´d|デス

たまにこういうパターンがあるんですが、今回もまた、表題でぜんぶオチになっています(笑)

あのテレビの「ファーストバイト」ってなんやねん、という話ですよ。

なぜ「ひと口目」で成立している言葉を英語にしなければならないのか(笑)

なんだかひどく気になって、人生幸朗みたいに文句を言いたくなったのですよ。

というか、人生幸朗を知ってる人はいよいよ少ないか(‘A`)

しかしこれ、考えてみるとけっこう学問的な話かもしれないぞ、とも思います。

とりあえず考えてみましょう。

思うに、夏目漱石あたりからはじまっているのではないか

ぜんぜん学術的なアプローチをしていない、勝手な思い込みですよ?(笑)

夏目漱石は作家として有名ですが、英文学者としても有名で、当時にしてはめずらしく、イギリスへの留学経験もあります。

漱石文学の中でいちばん印象的な英語は、『三四郎』における「ストレイシープ」ではないかと思いますが、ところで漱石の作ったサロンである漱石山房に通っていた当時気鋭の作家、芥川龍之介も作品の中で英語を多用しています。

文明開化の明治から大正にかけて、脱亜入欧の空気が満ちていく中で、日本語の中にどんどん西洋の言葉が混じっていくんですね。

中国語の場合は、あらゆる外来語は自国語に吸収されて中国語になってしまうんですが、日本の場合はなぜか別々でも成り立ってしまう。

そのような素地を作ったのは、当時の文士、とりわけ西洋文化に慣れ親しんだ漱石、鴎外、そして芥川ではなかったかと思います。

ファーストバイトはちょうどいいむずかしさの英語

当時の知識人はおそらく日本語の中に英語を交えることに、時代のムーブメントや、知性の国際的な広がりを見せたかったんだと思います。

ほとんどの日本人は外国を知らないですから、文学を読むことで異国の情緒を感じることができる。そういう効果があったと思います。

いまでは日本語の中に英語が入ったときの耳慣れない感じに、「オッ」と思う程度の効能しかありません。

目的が、ただインパクトを与えるというところまで狭まったように思えるのです。

ぼくなんかは、「ひと口目」ですむ日本語を「ファーストバイト」という人たちに、どこか軽薄な商業主義を感じるのだけど、まあそんなことを言ったらこの社会はとても生きていけません(笑)

あれは、ルー大柴さんが使うよりはもう少しだけむずかしくて、でも中学英語がわかっていればだいたいだれにでもわかる、絶妙なところを突いていると思うんですよ。

だから、インパクトをもたせるために食レポの現場で使われるようになったのだろうなと思います。

おそらく、「食レポ」なんてものがない時代には生まれ得なかった言葉だろうと思います。

まとめ

なにがまとめやねん(笑) というツッコミを心の中でいれつつ。

日本人には脱亜入欧の歴史に加えて、「敗戦国」という歴史がありますからね。

明治や大正時代には無邪気に取り入れていけばよかっただけの西洋文化を、日本は一度断絶し、そして戦後にまた受け入れたのです。

たぶん、われわれは英語に対してある種のコンプレックスを抱き続けていて、それはきつい言い方をすれば、隷属だと思うんです。

それでいて、反面ある種の反発心というか、屈服しきれない何かも同時に抱えている。

それが、西洋語をあっさりと日本語の中に取り込みながら、そのくせ西洋語を「非常に軽いもの」として扱うところでバランス感覚をとろうとしているんじゃないか。

というのが、まあぼくのうがった見方です(笑)

最近では一部の政治家の人がよくこむずかしい英語を使って、その意味がメディアで取りざたされたりしますけど、日本人の西洋語に対する理解って、なかなかそのあたりを超えないのかもなと思います。

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