阪神大震災から25年。四半世紀経って感じたことを書く。

こんにちは。タナカd|`・∀・´d|デス

阪神・淡路大震災から25年経ちますね。

もう、四半世紀です。

朝、NHKをみていたら各地の追悼集会を取り上げていて、追悼の思いをつないでいる様子が放送されていました。

阪神大震災が結果的にもたらした意味

ぼくもオッサンになってなにかと分別がついてきましたが、当時は高校生でした。

大阪の郊外に住んでいたのですが、朝、ものすごい揺れと同時にたんすのうえの空っぽの段ボールが落ちてきたのを覚えています。

高さが1.8mほどもある大きな衣装だんすでしたから、よく倒れてこなかったものだと思います。

まだ早い時間だったのですが、もう親は急いで起きていて、テレビをみていました。

テレビはもうパニックそのもので、ヘリコプターからの被災地の様子が映し出されたときは総毛だちました。

その日、学校があったのかどうか、はっきり覚えていません。

ぼくがそこから覚えているのは、半年ほどして、先生が「社会学習」として神戸を見に行く遠足を実施したときです。

神戸の街並みをみながら思ったのはふたつの正反対の思いでした。

「たった半年でここまで暮らしが回復するものなのか」

そして、「半年経ってもこれほど爪痕が残っているのか」

地震で崩壊した場所がそのままになっている場所と、あたらしくきれいになっている場所とが、ごちゃごちゃになっていたのです。

そしてその中で人々の生活が一見”なにごともないかのように”取り戻されているということが、ぼくにはまるで、アクセルとブレーキを同時に踏みながらものすごい音を立てて、それでも進んでいる車のように思えたのです。

あれから四半世紀。

文明のもろさを象徴した震災

40代のオッサンになったぼくは、あの当時を「時代の中の出来事」として縦にとらえることができるようになりました。

高校生のときには、その現場で起こっていることしかわからなかったんですね。

歴史の中にある災害という見方をしていないので、復興の進捗状況くらいしか感じることがなかった。

けれどいまになってあの震災を振り返ると、あれは戦後最先端を突き進んでいた世界の文明の中でも、有数の大都市が、たった数十秒の震災で崩壊してしまうのだということを証明した出来事でした。

当時の日本のメディアはさかんに「高速道路の安全神話が崩れた」ということを言っていました。

それほど日本人はじぶんたちの築いた文明に自信を持っていたし、そのぶん震災は人間文明の鼻っ面を叩き折ったのです。

阪神・淡路大震災は、当時の人々のおごりを打ち砕く、バベルの塔のような出来事だったのだと思うのです。

おりしも日本はバブル崩壊後数年。

「また好景気は戻ってくるだろう」という楽観的な見込みは甘かったという感覚が徐々に社会に広まっていき、厳しい就職氷河期が訪れます。

長い停滞の時代の始まりでした。

あれから長い年月が経ちましたが、いまの日本には当時のような勢いはありません。

2011年、東日本大震災が起こりました。

原発の爆発は、栄華を極めたあとの、老朽化しゆく文明のほころびを象徴する出来事でした。

東北の復旧、復興はいまだ、道半ばのように思えます。

阪神大震災のときには感じなかったことですが、「復旧」と「復興」は違うのだと当時思いました。

町の姿を元通りに戻しても、その土地に長く根差した暮らしは、なかなか元通りにはならないのだと。

そして東日本大震災で感じたことから、さらに阪神大震災を振り返って、こう思うのです。

大都市文明の中では浮草のようにみえる暮らし向きの人たちにも、その場所で根付いた暮らしがあった。

表向きの復旧が急ぎ足で行われたから、当時若かったぼくのような傍観者には見えていなかったけれど、ほんとうに大事なのは、見た目がもとに戻ることだけではなくて、人々の暮らしがまた元通りにその場所に根差すこと。

すっかり元通りに戻ったようにみえるあの大都市に、戻ってこない暮らしに思いをはせる人たちがいる。

そのような「人間の心」が、25年経った今も、追悼の場に集まっているのだと思ったのです。

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