【今年の締めくくり】一年のバトンをつなぐにあたって、命のバトンについて考えた

こんにちは。雑記ブログ同好会のタナカd|`・∀・´d|デス

この記事を書いているのは2019年の大みそかです。

あたらしい年を迎えるためにあちこち掃除の仕上げをしたり、なにかと気ぜわしいのですが、どうしても新しい年を迎えるまでに書いておきたいことがあったので、親が掃除をしているのを尻目にぼくは早々に掃除を切り上げて、パソコンを立ち上げました(笑)

供養の意味

雑記ブログ同好会で、最初にぼく以外でツイッターのハッシュタグ「#雑記ブログ同好会」をつけて記事を投稿してくださったのは、こずえさんでした。

ありがたや、ありがたや(*_ _)人

こずえさんのブログだよ。全員集合!」の『橙と南天』という記事なんですが、なんだかこの年になったからこそよくわかるエピソードが多いなあと思いまして。

ぼくがとりわけ驚いたのが、若くにお姉さんを亡くされて、年末のお墓参りをする道中に、お姉さんのことを思い出しているくだりでした。

ぼく自身の、ある経験を思い出したからです。

思い出すことが供養

ぼくは数年前、祖父の33回忌に参加しました。

祖父はぼくが3歳の時に亡くなったんですが、記憶は残っています。

じいちゃんの膝の上で夕食を食べていたことや、もう末期がんで部屋に寝ていたじいちゃんに、おもちゃの扇風機を回して遊んだこと。お葬儀で父に抱きかかえられながら棺に花を手向けたことなど。

それで、お坊さんの読経が終わってお説教をしてもらうのですが、そこでお坊さんがこんなことを言いました。

「折に触れて故人のことを思い出すことが、供養なんです」と。

あのお坊さんの言葉がなんだか忘れらずにいたのですが、こずえさんがお墓参りの道中にお姉さんの思い出を語っていたことはまさに供養だな、と思って、驚いたというわけです。

時間軸で考える死と生

たとえばぼくの祖父は60代と、いまで考えれば若くして亡くなったんですが、そのときにぼくは3歳でした。

あの当時にはもちろん、ものごとを多角的にとらえるなんてまったくできませんでした。

ところがいまはもう不惑を迎えて、どちらかというと亡くなった祖父の年齢に近づきつつあることに気づきます。

そうすると、祖父のことを思い出すたびに、変わらぬ思い出の中で、祖父がどういう思いで人生を送っていたのだろうかということが、手探りながら少しずつあたらしい見方ができるようになるんですね。

祖父はもう年を取らないし、経験することが増えることもない。

ぼくはというと、年を取るし、経験も増えていく。

つまり、ぼくという人間の時間軸だけが移動するので、ぼくはぼくの変化に合わせて故人を見る角度を変えていくわけです。

そして最後は、ぼく自身も死を迎え、思い出の糸は切れてしまうのかもしれません。

バトンタッチ

ところが、ぼくの人生が終われば世界が終わるというわけでありません(笑)

ぼく自身には子供はいませんが、それを考えなくても次の世代がたくさん控えています。

あるいはぼくが亡くなったとき、次の世代のだれかが、ぼくが祖父を事ごとに思い出したように、ぼくのことを思い返してくれるかもしれない。

それは、連綿とバトンを受け取って渡していく作業のようにも思えます。

さきほどのこずえさんのブログ記事の最後には、家族の繁栄と幸せを願って、橙の木と南天の木を植えたというエピソードがあります。

お墓参りをして故人の供養をして、そしていま生きている世代に目を向けて、次へと向かう姿勢もまた、この年齢になってその深みがわかってくるようになりました。

お墓の意味

年末にお墓参りをすると、いつもこのようなことを思います。

あんまり理詰めで考えることではないと思うんですが、ちょっと壮大な話でね。

地球が生まれて、有機物があらわれ、それがなぜか「増える」という選択をし、そして分裂し、少しずつ「進化」をしながら時を経た。

つまり生き物は、「増殖」と「進化」を命題にして、何億年もそれを繰り返してきたわけです。

そして、ある生き物は海に残り、ある生き物は植物となり、ある生き物は陸に上がった。

終端

われわれは、地球が生まれてからいままで、命の連鎖が途切れることなく続いてきたわけです。

いまを生きるということは、途切れることのない命の連鎖の終端を生きているということです。

それこそ地球上は命だらけだからふだんはなんとも思いませんけど、じぶんが生きているということはけっこうな奇跡だと思うんですよ。

お墓の中にいるご先祖さんも、ひと昔前には命の終端を担っていて、そして「じぶんはここにいるんだぞ!」と、次の世代に向けて叫び、また死を迎えればじぶんのご先祖さんと一緒になりたいと願ったのでしょう。

今年は祖母が亡くなり、愛犬も祖母を追いかけるようにあちらにいってしまいました。ぼくにとってたくさんの思い出がある、大事な存在でした。

年越しに向けてお墓参りや実家の片づけをしながら、そんなことにも思いをはせつつ、もう少ししたらぼくの兄弟が家に来ます。

いちおう祖母の手前、喪に服すということにはなっているものの、甥っ子や姪っ子もきて、なんだかんだでにぎやかな年越しになることでしょう(笑)

ぼくもまた、今年一年を振り返り、そして新しい年に向けて気持ちを新たにしていこうと思います。

本年はみなさんどうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました